2010年05月02日

28人+10人以上で食事

4月20日マンダリンホテルの会場で行われた≪田川会≫
私はなぜか、「アモイの夜の遊び方」をみんなの前でガイダンスする羽目になってしまった。
説明が実に超具体的で生々しく、恋愛料や、トラブルの実例、性病を予防する基礎知識まで説明した。

夜の大宴会はシューヨー海鮮で行われた。
P1030417.JPG
私のスーパーな企画で、中国琴を女子大生に演奏させるという演出、そして、10名のコンパニオン兼売春婦を呼ぶ。

事前に酒癖の悪い人を聞いておいたので、そいつらにはうまくあしらうよう気をつけ、しかも自分は一杯のビールはおろか食事もとらず食事会の状況を見守っていた。見たところ皆、上機嫌である。自分で言うのもなんだが、私は外交とかこういう仕切りをするのが上手いなあとひそかに心の中でほくそえんでいた。
「腹は減ったし、酒も飲めないが、ま〜俺は天才だからな、我慢してやるか、おいらの手のひらでオヤジ達がころころ楽しんでやがるぜ」

落とし穴はとんでもないところに開けられていた。
群馬県の石屋、私とは初対面の横島というオッちゃんが私を手招きしたので、行ってみると、「よう、なかなか儲かってそうじゃねえか」と酔っ払い特有のニンマリ顔で話しかけてきた。
私は「いや〜、まあ、おかげさまで」と答えると、突如変貌!
顔がひきつり、怒りに満ち溢れた表情となり、
「お前え、一人で儲けてんじゃねえぞ、この野郎!むかっ(怒り) 工場責任者呼んで来い、おい、最近品質管理が荒れすぎてるぞ、おい」これはヤバイと、隣にいた島村弁護士が話を変えようと声をかけてきたのでいったんは落ち着いた。

横島オヤジの酒癖が悪いなんて情報聞いてねえぞ。
奴は再び私を呼びつける。
「お前え、さっきから突っ立ってばかりいやがってよ、緊張した顔で立たれてると、こっちまで気になって酒が不味くなんだよ!こら!」
「なんだこのコンパニオンは、ブスばっかりじゃねえかよ」

完全に私はカラマレ大将となった。
取引先の客も、当然客なので反発できない。
どうすれば良いのだ。とにかく笑って逃げるのが精一杯。

後で分かったことだが、私に対する印象は、例え中国といえども田舎オヤジからみれば華やかな海外生活。そこでバンバン儲けてゴージャス&リッチな生活を送っているという生意気な野郎に見えるらしい。そう見ている人間は数人はいるという。
注意:ただ海外で生活しているだけで、やえもすると日本での生活よりきつい生活を強いられている人までも、カッコいい奴、煌びやかな生活を送れているエリートと錯覚されてしまうこともあるようだ。特に質素な田舎オヤジから見れば。なんと島国根性偏狭的な考えなんだ。くやしかったら自分で海外で生活してみろ

この横島オヤジの一言で私はもう、 レイニーブル〜もう終ったはずなのに、レイニーブル〜なぜ追いかけるの?雨

やはり、私はまだまだ勉強不足だった。
どんな相手でも対応できると思っていた自分が馬鹿だった、もう完全にしょげてしまった。
心はブルーでも、飲むも飲まず、食うも食わずにずっと立っていたためか、限りなく赤に近いイエローの小便が出た。

ところが、意外な人間がこの横島オヤジをてなづけてしまう。
そいつは、ヘルプで呼んだ浅塩流クンであった。

つづく

posted by さわ at 23:35| Comment(4) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

コペンからスウェーデンの電車

コペンハーゲン中央駅から電車でクリスチャンスタード(スウェーデン)に向かうことになった。
コペンハーゲンから海を越え、スカンジナビア半島南部のマルメ(スウェーデン)で電車が切り離されるため、車輌の乗り間違いには注意。

世界の車窓から・・・・・

コペンハーゲンを越えると、バルト海の上に架けられた鉄橋を進んでゆく。
車窓から見える景色は、白い世界。
どんよりと曇った空から、バルト海に舞い落ちる小雨、そしてまるで全てを覆い隠すかのような霧のベール・・・・
って、 なんにも見えねえってことじゃねえかよっ!

電車の中で、トモさんが地図を見ながら間違った車輌に乗っていないか確認していると、親切な叔父さんが、トモさんに「どうかしたのかい?」と話しかけてきてくれた。
叔父さんは、この車輌で間違いないと教えてくれた。

親切な人はどこにでもいるんだな。
posted by さわ at 13:54| Comment(0) | ヨーロッパ紀行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

いよいよ岐阜デビュー

神奈川川崎埠頭、茨城鹿島埠頭、茨城真壁在庫置き場の原石材料をほぼ完売し、新たにインドや中国から原石を仕入れ販売することになった。

これにて茨城真壁での長期出張はしなくてよくなり、東京本社で貿易の仕事をすることになった。

仕入れに関しては全て上司の山猿部長が仕切っていた。
それは別に良いのだが、私の仕事は単なる彼のアシスタント。
ある日、二日酔いの山猿部長は輸入書類の送付が遅いと私を叱責した。
私はそれは女子事務員が忘れていたことで、私が叱責されることはないと反発。それに対しまるで油に火を注いでしまったようで、私を激怒した。

これには耐え切れず、すぐさま岡村専務に直訴!
「あんなノンキな山猿の下で働くのはまっぴらごめんだ、退社させていただきます」
と、就職先も決めていないのに退社表明をした。

岡村専務は私を辞めさせてくれなかった。
彼の出した提案は、岐阜県大垣にある支店に行って、建築材在庫の販売を手伝うよう命じた。

東京の実家からかなり離れた場所での赴任は相当な手当てがつく。
これに私は乗った。
1997年6月
私は岐阜に行くことになった。

しかし新幹線でも飛行機でもなく、東京で余っている車(古いタイプのクラウン)で東京から大垣まで一人で運転して行く羽目になった。
一日走行距離の最高が100キロまでと決めていた私にとっては死のロードだ。
パリ=ダカールレースのようだ。

案の定道、高速で道に迷った。高速なのになぜ?
とにかく東京育ちで中部日本なんかに足を踏み入れたことも無い私は、訳も分からず東名高速をひた走る。
「東名(トウメイ)」という名の高速を走ればそのうち大垣につくのかと思ってずっと「東名」という文字をあてにして走ったがため、三重県の方に向かっていた。
そう、 「東名阪高速」を走っていたのだ。
正しくは「名神高速」を走らなければならない。
「東(←ひがし)名阪高速」「東」「東京」の略ではないんだね、これが。
名古屋を越えたのだから、 「東京」はもはや関係ない。
あわや三重の桑名というところで、おかしいと気がついた。

とにかく降りて、地元の川石さんに迎えに来てもらった。
いや〜、見知らぬ土地はややこしいのお。

しかし、この岐阜の大垣が日本の最後の勤務地となるのであった。


posted by さわ at 01:13| Comment(2) | お仕事物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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